August 2008
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東京新聞:【三都物語】渋滞緩和 都市成長へ挑戦続く:東京スピリット(TOKYO Web)
混雑税を何に使うのかという議論が必要。
産科医無罪—医療再生のきっかけに
医療界がかたずをのんで見守っていた裁判で、無罪判決が下った。
4年前、福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した医師が業務上過失致死などの罪に問われた。福島地裁の結論は、手術はほとんどの医師が行っている標準的なもので、過失はない、というものだ。
赤ちゃんは手術で無事生まれた。しかし、普通は産後に自然にはがれる胎盤が子宮に癒着していた。このため、医師は手術用ハサミを使って胎盤を切り離したところ、大量の出血が始まった。その後、医師は子宮そのものを摘出したが、母親は失血死した。
検察側は「癒着した胎盤を無理にはがさずに、子宮を取り出すべきだった」と医師の過失を主張した。しかし、判決は、胎盤をはがすことは普通の医療であって中止すべき義務はなかった、として退けた。
判決は医療界の常識に沿ったものであり、納得できる。検察にとっても、これ以上争う意味はあるまい。控訴をすべきではない。今回の件では、捜査するにしても、医師を逮捕、起訴したことに無理があったのではないか。
慣れない手術でまるで練習台のように患者を使う。カルテを改ざんする。そうした悪質な行為については、これまで通り刑事責任が問われるべきだが、そうでないケースについては捜査当局は介入を控えるべきだろう。
今回の立件は、医師の間から「ある確率で起きる不可避な事態にまで刑事責任が問われるなら、医療は成り立たない」と反発を招き、全国的な産科医不足に拍車をかける結果にもなった。産科の診療をやめた病院も多い。
無罪判決に、全国の医師らはほっとしたに違いない。だが、捜査当局が立件しようとした背景に、医師に対する患者や家族の不信感があることを忘れてもらっては困る。この判決を機に、医療の再生を図れるかどうかは、医療機関や医師たちの肩にかかっている。
まず、診療中に予期せぬ結果が生じたときに、原因を突き止め、患者や家族に誠実に説明することが大切だ。そのうえで、再発防止策を取らなければならない。
医療にはさまざまな危険が伴う。だからこそ、何が起きたかを明らかにするのは、プロとしての医師の責任であることを肝に銘じてほしい。
当事者の調査や説明だけでは患者や家族が納得しないこともある。政府が準備を進めている第三者機関「医療安全調査委員会」をぜひ実現したい。
調査の結果が警察の捜査に使われることへの反発が医療界にあるようだが、きわめて悪質な行為以外は捜査に使わないことを明確にしたうえで、発足を急ぐべきだ。それが患者側の不信感を取り除き、医師が安心して仕事をできる環境づくりにつながる。
” —そもそも医療は万能ではないということを一般の人たちが忘れているということに対して、医師だけが向きあえばいいのだろうか?
初期救急(一次救急)とは入院や手術を伴わない医療であり、休日夜間急患センターや在宅当番医などによって行われる。
二次救急とは、入院や手術を要する症例に対する医療であり、いくつかの病院が当番日を決めて救急医療を行う病院群輪番制や、共同利用型病院方式がある。
三次救急とは二次救急まででは対応できない重篤な疾患や多発外傷に対する医療であり、救命救急センターや高度救命救急センターがこれにあたる。
” —救急指定病院 - Wikipedia「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」
” —赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文(産経新聞) - Yahoo!ニュースJuly 2008
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どう演出するのかという点がひとつ。
それを国際映像において
どう配信するのかという点がひとつ。
この2点において、開会式というのは
極めて注目すべきだと思います。
要するに、中国という国が、
オリンピックをどうとらえているのか、
ということでしょうね。” —ほぼ日刊イトイ新聞 - 教えて、刈屋さん!
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この2点において、開会式というのは
極めて注目すべきだと思います。
要するに、中国という国が、
オリンピックをどうとらえているのか、
ということでしょうね。” —ほぼ日刊イトイ新聞 - 教えて、刈屋さん!
「警察庁によると、自転車が歩行者をはねた事故は2007年に全国で2856件と00年の約2倍」←自転車対自動車の事故の件数はそれよりも二桁多いんですけど。